先日、このような記事を目にしました。
“感じよくしない”接客には理由がある。Z世代のGen Z Gazeが再定義するホスピタリティ(AMP[アンプ]) – Yahoo!ニュース
最初にわたしのスタンスを表明しておくと、この潮流は大・大・大歓迎です。お客さんに話しかけない美容師さんを選べることはもっと広まってほしいですし、コミュニケーションコスト(精神的コスト、時間的コスト、経済的コスト)は高いほどよいというものでもないと思います。私自身は、過剰な褒めなどは苦痛で仕方がないタイプです。行き届いたおもてなしをされると、大切にされているとうれしく感じるよりは、その方のプロ意識のほどを感じます。これは誰のためにしているのか、と感じられる気遣いは、かえって居心地が悪い時も。
わたしが働きはじめたころは氷河期の入り口で、バブルははじけておりましたがまだあちこちに残り香があり、医療機関では製薬会社のボールペンやファイルなどががあたりまえに備品になっていた時代でした。製薬会社の方が定期的に医師の御用聞きにきて、幅広にいろいろ便宜をはかっていたようにも記憶しています。今は例えば研究発表には必ずCOIを開示するなどの文化が定着しており、かつてのようなことはないのだろうと思いますが…。ただ、当時を思い起こすと、製薬会社の方の、いつも変わらぬ人に好まれる快活な笑顔、行動の速さ、かゆいところに手が届くような提案などは、医師に自社製品を使っていただくために必要不可欠なスキルであったのだと思います。そういう文化だった。当時の医師も、その文化の中にいた。わたしたちが今の文化の許容範囲内で生きるように、当時には当時の文化的な許容範囲があり、便宜をはかることなども(今ではとんでもありませんが当時は)その範囲内であったということなのだと思います。
新しい文化、新しいコンプライアンスが形成されていく過程として、冒頭に紹介した記事のような動きも含まれるのでしょう。「だれのためのサービスか」を考えたときに、受け手が過剰と感じるのであれば、一般的に望ましいとされていても、それを控える選択肢があった方がホスピタリティがある。半面、親しみのある笑顔、ほんの少しの気遣い、そういったプラスアルファを嬉しく思う人には、それができた方がホスピタリティにかなっています。
お店が初見でどういう人かを見分けるのは困難ですので、うちはこういう店ですよ、という店ごとのカラーを出して、お客さん側が選ぶのがいいように思います。不愛想な店、大歓迎です。わたしはカフェで店員さんに顔を覚えられて「いつもありがとうございます」と言われるとそのカフェは利用しにくくなるタイプなので、毎回初めてのように迎えてくれるところを選びます。
さっぽろ羊の森は、小さいスペースではございますが、居心地よく居ていただけるように内装や小物、家具、お飲み物を出す食器などこだわって選びました。店主(セラピスト)は、圧が強すぎないよう、話しやすい雰囲気づくりを心掛けています。カウンセリングルームの写真も参照いただければと思います。こんな雰囲気ですが、よければぜひいらしてください。オンラインだとお飲み物はお出しできないのが残念ですが、オンラインも歓迎です。