「トラウマ(心的外傷)」と聞くと、大きな事件や事故、戦争や災害などを思い浮かべるかもしれません。しかし、トラウマは必ずしも「命に関わる出来事」だけを指すとは限りません。
トラウマを「T(大文字のトラウマ)」と「t(小文字のトラウマ)」というふうに区別する考え方があります。
「T」と「t」——二つのトラウマ
- T(大文字のトラウマ)
命の危険を感じるような出来事。(虐待、暴力、性被害、事故、災害、戦争など)
DSM-5(精神疾患の診断基準)のA基準(生命の脅威に関する出来事の体験)に該当するタイプです。 - t(小文字のトラウマ)
生命の危険まではないものの、心理的に深く傷つく体験。(無視、持続する批判、いじめ、仲間はずれ、親からの愛情を受け取れたと感じられなかったこと、支配的な人間関係など)
こうした体験は診断基準上は「PTSD」とされないことも多いですが、脳と身体の反応はTと同様に強いストレス反応を引き起こすことがあります。
A基準に当てはまらないt(小文字のトラウマ)であっても、PTSD症状――フラッシュバック・過覚醒・回避・自己否定感・身体症状(不眠、過緊張、慢性疲労など))などが出ることは、実際少なくありません。
トラウマ反応とは何か
トラウマは「出来事そのもの」ではありません。また、心の深い傷つきだけでもありません。その出来事が神経系に与えた影響として理解することが重要です。
脳は危険を検知したとき、闘う・逃げる・凍りつく(fight / flight / freeze)という防衛反応を取ります。
トラウマ体験は、危険が去った後も身体が「危険が終わった」と感じられないまま、反応が遷延(ずっと続くこと)します。
代表的なトラウマケア
受容、傾聴をメインとしたカウンセリングは基本であるものの、それのみではトラウマ症状の改善という点で頭打ちになることがあります。また、トラウマにあまり詳しくないカウンセラーであった場合、記憶をどんどん話すうちに交感神経が活性化して自身のコントロールできる範囲をはずれてしまい再トラウマ化してしまう恐れがあります。そもそもカウンセリングは神経系については手が届きにくいところがあります。
以下では、わが国でよく用いられているトラウマケアのアプローチを紹介します。
● SE(ソマティック・エクスペリエンシング)
米国のPeter Levine博士によって開発され、いまなお発展を続けている心理療法です。 身体感覚を手がかりに、未完了の神経系の反応に働きかけることで、トラウマに紐づき現在に影響を与えている様々な症状をやわらげ、回復を目指す治療法です。
ポリヴェーガル理論に基づいており、fight / flight / freezeのどれでもない神経系、人との間で体験を消化していけるような腹側迷走神経が働くことを重視します。トラウマ体験時には得られなかった安心の中で、すなわちセラピストとの安全安心な関係性の中で、できるところから少しずつ処理していくことが非常に大切です。
● EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)
臨床心理学者Francine Shapiroによって、両側性の眼球運動によって脱感作が起こることが発見され、1989年体系化されました。
セラピストが指の動きを左右に追わせるなどして眼球運動を誘導しながら、クライエントはトラウマ記憶を想起します。タッピングや音などの両側性刺激を用いることもあります。
両側性刺激により、記憶に伴う強い感情や反応が軽減された状態で、トラウマ処理が再開して症状が改善していきます。
パワフルな療法です。充分に安全を感じられるようになった上で実施しなければ、解離等が起こりやすくなったり、症状が悪化する恐れがあるとも言われています。
EMDRを実施するかどうかは、その方のもつ健康的な部分が現在どれだけ活用できるかが重要で、そのアセスメント及び実施には専門性が必要です。
いきなり大きなトラウマ記憶の処理に入る前に、健康的な部分を充分増やしていくことをします。例えるなら「心の体力」をつけてから登山に臨むようなもので、事前の準備が必要不可欠です。
● PE(持続エクスポージャー療法)
Edna FoaによってPTSDを治療するために作られた心理療法で、認知行動療法のひとつです。避けていたトラウマ記憶に安全な環境で曝露し直面化していくことで、過剰な恐怖反応を和らげていきます。現実エクスポージャー(本当は安全だけれど危険に感じてしまう生活の状況に、時間をかけて実際に触れていくことで危険ではないことを確認していく)、想像エクスポージャー(治療の中でトラウマ体験を話していく)があります。
恐怖の記憶が「もう危険ではない」と脳が再学習するプロセスを重視します。
その方のもつ健康的な部分がPEに耐えうると専門家が判断できる場合は、有効であり強力な手法です。
● BSP(ブレイン・スポッティング)
ソーシャルワーカーかつ心理臨床家でもあるDavid Grandが2003年に開発した手法です。眼球の位置と脳内の処理が関連していることに着目し、特定の一点(スポット)を見つめながらトラウマ記憶にアクセスし、記憶の処理をすすめていく方法です。
クライエントがスポットを見つめながら、身体や感情、イメージなどに反映する変化を追うことで、記憶の処理がすすんでいることがわかります。EMDRに似ていますが、両側性刺激ではなく一点を見つめることで処理がすすんでいくという点が特徴です。
こちらも、セラピストとの安心・安全な関係性の中で行われること、その方の健康的な部分がどれだけ活用できるかなどを専門家が見極めることが必要です。
● フラッシュテクニック(Flash Technique)
EMDRのトレイナーであるPhilip Manfieldによって開発されました。もともとはEMDRの前段階として開発された方法で、トラウマを直接思い出さず、遠ざけることで症状を緩和することができます。特にセッションの時間が限られている場合や、クライエントがトラウマ記憶に触れる準備ができていない時に非常に有効です。
短時間で比較的穏やかにトラウマ反応を軽減できるため、重いトラウマや 解離がある方にも安全に使える場合があります。
セッションでは、トラウマ記憶ではなく、ポジティブなイメージや中立的な課題に意識を向けながら、タッピング及び特定の「まばたき動作(flash)」を組み合わせて行います。
● BCT(ボディ・コネクト・セラピー)
わが国の藤本昌樹氏が開発した、トラウマケアのための身体志向の心理療法です。EMDRやTFT(思考場療法)、プレインスポッティング、SE(ソマティック・エクスペリエンシング)などの効果的な要素を取り入れています。詳細は記載できませんが、眼球運動(両側性刺激ではない)とタッピングを用います。特徴は一つ一つのトラウマ記憶の処理にかかる時間が圧倒的に短いこと、トラウマの活性化が出にくいこと、解離を起こしにくいように工夫されていること、などです。トラウマの詳細をセラピストに話すことなく処理をすすめることも可能であり、想起に伴う苦痛を和らげつつトラウマ処理が比較的早くすすむという特徴があります。
● HT(ホログラフィートーク)
わが国の嶺輝子氏が開発した心理療法で、軽催眠を使ったトランスワークや自我状態療法(後述)の一種といえます。軽催眠状態でトラウマを扱うため、過去の外傷的な場面にイメージの中で到達しても、安定した意識で過去の自分を見つめやすく、過去の問題の理解とその解消が可能になります。外傷的な場面に到達したとき、イメージの中で同じ場面でほしかったものや人を得て、正しい行為を充分にしてもらうことで、修正情動体験としてそれを記憶することができます。この修正された情動体験が、その後のクライエントのトラウマの感覚を中和する解毒剤として働いていきます。
● 自我状態療法
Watkins夫妻によって開発された心理療法で、解離性同一性障害やトラウマの治療において、力を発揮する心理療法です。内的な葛藤の解決にも役に立ちます。催眠は必須ではありませんが、併用した方が効果的とされています。
自我状態療法では、セラピストに伴走してもらいながら、心の内側に意識を向けることによって、自分の中にある様々なパーツ(=「自我状態」)に出会います。パーツとやりとりし、パーツの思いや言い分をきき、共有しながら、治療という共同作業に協力してもらえるよう働きかけます(どのような方にも、通常、複数のパーツがあり、さまざまな役割を担ってくれているものです)。パーツから概ね、賛同や協力を得た上で、トラウマ処理を行っていきます。
まとめ トラウマは「経験」ではなく「神経の記憶」
トラウマは、「過去の出来事を思い出すこと」ではなく、神経系が安全を回復できないまま過去に閉じ込められている状態です。
そのため、認知だけでなく身体感覚や神経系への働きかけを取り入れた療法が、回復の鍵になります。
A基準に該当しなくても、日常生活の中で「t」が積み重なり、つらさにつながっていることは少なくありません。
もし「過去のことなのに心身がずっと緊張している」「思い出すと体がこわばる」などといった症状を自覚する場合、それは「トラウマ反応」の可能性があります。
安全な関係の中で少しずつ「身体と心が安全を思い出すこと」——それがトラウマ回復の第一歩です。
心理カウンセリングさっぽろ羊の森で行っているトラウマケア
札幌市中央区円山のカウンセリングルーム「心理カウンセリング さっぽろ羊の森」では、自分のペースで、安全に、少しずつ回復していけるよう、心身両面からサポートしていきます。
トラウマは、理屈で「もう過去のこと」と分かっていても、身体がまだ危険を感じている状態です。
さっぽろ羊の森では以下のような方法を用い、未完了のトラウマ処理をすすめ、安全感を取り戻すお手伝いをします。
- ソマティック・エクスペリエンシング(SE)
- EMDR
- フラッシュテクニック
- BSP(ブレイン・スポッティング)
- BCT
- 自我状態療法
必要に応じて、トラウマケア専門の知見を基にした心理教育も行っております。
「安心して話せる場所」が大切
繰り返しとなりますが、トラウマの回復のためには、安全な関係性が何よりも重要です。「自分の話を途中で止められないか」「感情を見せて迷惑をかけないか」と不安な方も、はじめは無理に話す必要はありません。できるところから少しずつアプローチしていきます。あなたの神経系の処理が進むにしたがって見える景色は変化します。できれば好奇心をもって、その変化を見続けていただけたらと思います。
あなたの心身が、今はもう危険ではないと確かに感じられるように。
そのプロセスを、静かに、確かに伴走していきます。